あまりに突然の訃報で、一瞬、耳を疑いました。
私が8月5日に中国の深センで開催される国際会議に出席のため、8月1日に北京の実家に寄り、8月3日のお昼過ぎ頃、元同僚からの電話でした。
即、恩師の自宅へ師母(先生の奥様)に会いに行き、師母からは「あなたに会ってからサインしようと用意したよ」と言われ、恩師の遺作となった『飯菜就是特効薬』を渡され、もう涙が。。。遺影に深く頭を下げ、「謝謝老師」しか言葉がでませんでした。
恩師 翁維健先生との出会いは、1984年でした。私が北京中医大新卒で、就職先は翁先生が室長を務めている「中医営養教研室」でした。
教研室というのは、教育研究室の略称で、日本の大学の学科に当てはまります。全国初の「中医営養学」学科なので、教材もなければ、もちろんカリキュラム(教育大網という)もありませんでした。準備期間は1年間、できなければ「中医営養学教研室」は解散という厳しい状況の中で、ゼロからのスタートでした。
私の仕事は、先生に渡された古籍の書名リストを手に握って、図書館で探す、古籍にあるすべての食療方をカードに書き写すという非常に地味な作業でした。そのカードは段ボール箱数箱分ほど大量に集まりました。
あまりにも単純な作業なので、たまに手抜きもする私たちに、先生は「我的小祖宗誒、這是咱的飯碗啊,好好幹啊」(「私の若先祖たちよ、これが私たちの茶碗(命)だから、頼むから頑張って頂戴よ」)と微笑みながら叱られました。(私たちは毎日古典の中を探しまくっていたので、自分たちはもう先祖になっているよと先生に愚痴を言ったから f(^^)
1年間で教材、カリキュラムという条件をクリアし、次は「食材に馴染んでこい」とホテルの厨房に3ヶ月全日制研修に行かせてくださいました。
先生は説教を一切しない、確実に仕事の詳細内容、目標を伝えてくださるスタイルで私たちを薬膳の道に導いてくださいました。
あれから30年余りが経ちました。自分もこの道の講師になりました。
恩師に恥をかかせないように、恩師が開いてくれたこの道を歩き続けると改めて考えております。
先生、ありがとうございました。
ごゆっくり休んでください。
2000.11.11